博物館
白虎隊記念館

〒965-0003
福島県会津若松市
一箕町大字八幡字 弁天下33

TEL 0242-24-9170
FAX 0242-24-9090

営業時間
8:00〜17:00(4月〜11月)
8:30〜16:30(12月〜3月)

http://www.h3.dion.ne.jp/~byakko/

 

当時の会津藩は年齢により玄武、清竜、朱雀、白虎、4隊に分れ、白虎隊は16・7歳、全員343名で、内1割は大人の将校でした。
家の禄高により士中1・2番、寄合1・2番、足軽と5中隊あり、各方面に出て、戦死者33名を出しています。戸の口原に防戦したのは士中2番隊42名ですが、内20名は退却してこの飯盛山に上り、内堀と外堀間の士族屋敷の戦火を望見し鶴ケ城はすでに落城したものと見誤って、籠城戦1ヵ月の第1日目に惜しくも自刃してしまいました。

〜会津戦争〜
慶応4年(1868年)の春、尊皇討幕派の薩摩・長州・土佐等の各藩と尊皇佐幕派の会津・桑名両藩を含む徳川幕府軍との間に鳥羽伏見の戦は起り、徳川方は敗れ、将軍の慶喜公は恭順のため江戸に謹慎し、会津藩主松平容保公も会津に帰り謝意を表していたが、尊皇討幕派の70余藩はあくまで会津をこらそうとして攻めてきた。この時、仙台・米沢等奥羽越31藩は白石に会同して、「参謀世良修蔵らが主唱者となって謝罪謹慎中の会津藩を攻めることは、武士道に反しとても朝廷軍とは認められない」として会津救援に立ち上がり、東北各地で数ヵ月間防戦につとめたが、遂に敗れて皆降伏した。